とーちゃんのライフチャート-その 4
はじめに
引き続き、自分の今までの人生を振り返って整理しています。
幼少期
7 歳
自分、父、母のことを紹介しました。
僕が7歳ぐらいだったでしょうか。
父と母がついに離婚をすることとなりました。
父と母のそれぞれから、離婚することとなったことを告げられました。
はじめは父から告げられたと思います。
- 「お父さんとお母さん、離婚することになった。」
- 「○○と一緒にいたいけど、家庭裁判所で親権というものを取り合ったら男親はまず勝てない。だから大きくなるまではお母さんと一緒にいるんだよ。」
同時に聞かされたことが有りました。
「〇〇のお姉ちゃんはお父さんの本当の子供じゃない」
自分の中にそれほど驚きがなかった記憶があります。驚くよりもひどく腹落ちした感覚がありました。
姉となぜ11歳離れているのか?何故姉が父と仲が悪いのか? というパーツがつながった気がしました。
父が今まで何故家にあまり帰ってこなかったのか? ということも教えてくれました。
母が借金をしていたらしく、その返済のために父がいわゆる 出稼ぎ をしていたのでした。
母が頻繁に引っ越しをしたり、時々家の電気を消して静かにしたりしていたのかの理由がわかりました。
借金の返済が終わり、さて青森で一緒に暮らそうとなった途端に母の態度が変わったということでした。
今でも父は嘘をつくような人間では無いと思っています。おそらく事実でしょう。
「〇〇のために、お金もためているし、自分の老後のためのお金も蓄えているから、大きくなったら一緒に住もう。」とも言ってくれました。
当時で57歳ぐらいでしょうか?もうすぐ定年となります。(当時は60歳で定年だったのでしょうか?)
ただ、やはり遺品整理のときに見つけましたが、この貯金というのもなんだかきな臭い金融商品のようなもので、人のいい父は騙されていたのではないか?と思っています。
父はセピア色のボロボロの写真を取り出し僕に見せてくれました。
写真には着物を来た40歳ぐらい女の人が写っていました。姿勢良くまっすぐ立っています。少しだけ向かって左に体を傾けていました。
父はその写真を見せながら「この人は、お父さんが今でも愛している女の人だ。」と言っていました。
心のなかでは 「では何故母と一緒になったのか?」 という疑問が湧いていましたが、それがわかったのはやはり父が死んでからでした。
父は、僕に接するときはいつも穏やかでした。離婚することを告げるときもやはり、穏やかで優しい様子でしたが泣いていました。
父が泣くことにびっくりしましたし、どうしていいのかわからず居心地の悪さを感じました。
その他、父は3回結婚していると言いました。
「今のお母さんが3人目の妻になる。」
これを聞いて、なぜ48歳のときに兄が生まれ、50歳で僕が生まれたのか?というのもわかりました。
ちなみに、1人目の奥さん、2人目の奥さんがどうなったのかがわかるのはやはり父が死んだ後でした。
父が死んだ後にわかったことは非常に多いのですが、わからなことはもっと多く、ぜひ良い案があれば教えてほしいと思っています。
父からの話を聞いた後は母と話をしました。
母はずっと泣きながら「あなたはお父さんと仲良しだからお父さんのところで一緒に暮らしなさい。」といっていました。
母の姿と父の姿を比べると、あまりに母の姿が弱々しく危なく見えました。
父は常に芯があって落ち着いているように見えましたが、母はまれにカッとなることがありましたし、精神的に不安定に思えました。
「一人にしておくことはできない。」と子供心に思ったのでしょう。
僕は母と一緒に暮らすことを選びました。
僕は父、母どちらでもいいので「自分と一緒に暮らそう」と言ってほしかったなぁと思います。今でもそう思っています。
家族間でそんないがみ合いがありましたが、みんなが僕に対して向ける感情は「愛」だったと思っています。
だからこそ僕は今までなんとかやってこれたのだと思っています。この点については僕は とても恵まれている と思っています。
こんな事件があってから、僕は寝る前に「お金をためて、大きくなったら父が教えてくれた山の土地に、大きな家を建てよう。そこに仲直りした父と母と家族でみんなですごそう。」と誓って眠るようになりました。
すっかり忘れていました。今となっては達成できない夢ですね。
代わりに自分が親となって、愛する妻と5人の子どもたちに囲まれているわけで、形は違うが達成したと言えます。 家は小さいですが(笑)。
こうして父と姉がいなくなり、母と障害者の兄と僕の3人で生活する事となりました。
そんな中、また新しい家族が登場することとなります。
続く
ひとこと
これでも随分イベントを省略していることが残念です。
考えに文章が追いつかない。
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