とーちゃんのライフチャート-その 3

2023-07-30

はじめに

前回、前々回に引き続き、なんとか稼げるようになってきた現在までのとーちゃんの人生を振り返っています。

幼少期

4 歳〜6 歳 (続き)

前回までは家族構成と父との思い出について書きました。

今回は母との思い出について書こうと思います。

母との思い出と言っても、母は父とは違って健在ですし、ずっと一緒にいました。
不思議なもので、ずっと一緒にいた母との思い出のほうがぱっと出てこないのです。

僕は保育園に預けられていたので、おそらく何かパートをしていたのだと思います。
保育園にいる時間は随分長かったのだと思います。外が真っ暗になってもまだ迎えに来なかった記憶があります。
それでも同じぐらいの時間帯に園内の他の子供達と一緒に遊んでいた記憶があるので、社会がそんな状況だったのかもしれません。

絵本を読んでもらった記憶がほとんどありません。
あっても2冊ぐらいだったと思います。
「11匹の猫、袋の中」 という本と 「がいこつさん」 という本です。(今でも覚えているんですね。我ながら子供の記憶にびっくり!)
こんな状況だと知能が発達しなさそうに思えてしまいますね。

ただ、兄に知的障害があるということで、少しでも知的障害を改善できるようにしていました。
「ばくさんのかばん」 というNHKの番組のキャラクターが登場するカセットテープを四六時中流していました。
確か、数とことばの知識が身につくものだったと思います。お金がないのにこういうところにはしっかりお金をかけていました。

母にとって姉は、子供であるとともに戦友でした。
母と姉はいつも何かを相談しあっていましたし、母や兄や僕と話をすることは少ないですが姉とはよく話をしていました。
ですので、僕の当時の記憶は母と姉が話をしている内容で作られている部分が大きいと思います。

時々、二人で青森にある酒屋?なのか、居酒屋?なのかの話をしていた記憶があります。
日本神話に登場する鳥の名前の着いたお店が母方の親族だったようですが(身バレしそうですねw)、そのお店が経営が苦しいとか潰れそうだとかそんな話をしていた気がします。

少し話が変わりますが、母がある日の朝離したことがいまだに忘れられません。(僕にとっても心に残っているし、支えにもなっている気すらします。)
昨日の晩夢をみたということを姉に話していました。
当時2階建ての賃貸に住んでいました。僕と兄が2階に寝ていたのですが、玄関から2階に向かって白い服を着た女の人がゆっくり上がっていくのが見えた、と言っていました。
普通に聞くと怖い話なのですが、僕には不思議と怖い話に聞こえませんでした。
話の中に含まれていたのかもしれませんが、きっと僕に会いに来たのだと思いました。
また次回、こう思った理由に関係する出来事について書きたいと思いますが、

実家は北海道なので、1年に1回ぐらいは一緒に帰っていました。
今はもうない「連絡船」に母、姉、兄、僕でのっていきます。
当時は自然もたくさん残っていたのでいろんなものを見れる貴重な機会でした。
満月の月明かりの下、津軽海峡をイルカが飛んでいくといった幻想的な光景をみることもありましたし、到着した函館から実家に移動する間にヒグマに出会うなんてことも有りました。
そんな思い出があるなか、その思い出の中に母が絡んできた記憶がほとんどないのが不思議です。(姉は記憶の中に残っています。)
こうやって書いている間も、連絡船の中で父と将棋をしたことを思い出しました。(つまり1回は父も一緒に北海道にいっているはずですね。)

父と同じように母にも二面性がありました。
母は父が青森の家に戻ってきている間、父に対してとても優しく振るまっていました。
父に希望通りにに食事を出し、父が母にくっついて来ても拒もうとしませんでした。(父は寂しかったのでしょう。母とできるだけくっついていようとしました。)
青森駅発の特急に乗ってまた遠方に向かう際にも泣いていました。
しかし、父が家を不在にしている間などは様子がかわりました。父の洗濯物に対して「なぜあのオヤジの分を洗わないといけないんだ、汚い。」とつぶやいていたのを覚えています。

母がどこまで父のことを愛していたかがわかりませんが、大きな亀裂のきっかけとなったのは「姉の家出」だったのではないかと思っています。
姉の家でのタイミングがはっきりと覚えていませんが、5歳ぐらいでしょうか。

以前お話したとおり、父と姉は仲が悪くしょっちゅう喧嘩していました。喧嘩と言っても一方的に姉が父に殴られボロボロになっていました。
姉は当時の「レディース」(古い!)のような感じで、ガラの良くない男性、女性とつるんでいました。
だからといって家族に対してひどいことをするような人では有りません。特に僕には優しく、いつも抱っこしたり遊んでくれたりしました。
未だに姉のことは大好きです。(ただ、連絡が取れない。)
そうこうしているうちに姉がほとんど家に帰ってこなくなりました。たまに帰ってきては知らない男の人と部屋にこもっていて、出てきたと思ったらまたしばらく戻ってこないというふうでした。

母は夜の商売をしていたのだと思います。
これも確証があるわけではないのですが、僕たちが寝静まってからどこかへでかけてしまうことが有りました。
夜中に目が冷めて母がいないこともありました。
ただ、今から思い返すと酒を飲みに出歩いていただけの可能性もなくはないですね。

この当たりから母の性格も随分厳しくなってきました。
それで起こったのが6歳のある午後です。
小学校入りたての僕が家に帰ってくると2階で 「〇〇、助けて〜!」 と声が聞こえました。
ちょうどその時父が青森に戻ってきていたのでしょう。
びっくりして2階に上がると、あんなに仲が良かった父と母が殴り合いの喧嘩をしていました。
父は母の顔面をグーで殴り、母の顔から大量の鼻血が出ています。
「〇〇、警察を呼んで!」 もう訳がわかりませんし声が出ませんでしたがとっさに二人の間に入って引き離しました。
涙が止まりませんでしたが、とにかく二人を引き離すために勝手に体が動きました。
父は僕のことを愛してくれていたのだと思います。激昂していたにもかかわらず僕が怪我をするかもしれないと思ったのか殴るのをやめました。

その当たりから不思議と記憶が飛んでいます。
次に思い出せるのは、父と母が離婚することになったという話を聞かされたことです。
そのときに、父から家族に関わる事実を聞かされました。


とーちゃんのライフチャート-その 4 に続く

ひとこと

父との思い出は筆が進みいくらでも出てくるのですが、母との思い出は不思議となかなか出てきません。
ずっと一緒に暮らしていたのに。

Posted by tochan